ロックは長髪ではできない?

しばしトラックバックやコメントをいただくSAX&音楽ノートでロックについて熱く語られていた。ここ

今回はそれに対しての私のコメントを編集したものだ。何回かに分けてのコメントなので、つながりの部分を編集したのと、口調を”だ・である”にした。その他、横道にそれた部分と、元の文書を受けての部分は削除した。論旨は変えてないつもりである。




>ロックは長髪じゃないとできない。

これは本当だ(笑)。

正確に言えば長髪じゃないとできないのではなくて、長髪であることがロックであることの主張だということだ。そしてそれは、彼の「生き方」なのだ。

つまり、彼にとってロックは「音楽」ではなくて「主張」であって「生き方」なのだ。(もっとも「主張」ではなくて単に「ファッション」としてやっているのもいるが、そんなのは気にしないでよろしい。)
ファッションではなくて「主張」しているやつは一貫して思いっきり主張していただきたい。他人に言われたくらいで髪を切るなんてことはゆるしません(笑)。

私はそのように理解している。そう思うとロック・フォーク系の人が妙に熱いのも理解できるし、「自分とは、やっていることがまるで違う」と思えば別に腹もたたない。

ただ、偉そうに言わせていただければこの構造を理解している人はあまりいない。それで、熱い人達は「自分達は音楽をやっている」と思い込んでいるし、熱くない人たちも「あんなのは音楽じゃない」と心を痛めてしまう。

もう一つ話をややこしくしているのは、ロックな人の中にも「主張」ではなくて「音楽」をやっている人達もいるし、ジャズをやっている人の中にも「主張」や「生き方」場合によっては「ファッション」でやっている人もいることだ。ジャンルではっきり区切れないというところだ。



さて、もうひとつ別のことがある。主にポップ・フォークなどの人達だが、彼らにとって音楽は「情感」「物語」なのだ。

我々(あえてこう言うが)にとって音楽は「表現」だが、この「表現」は何も具体的な情感や物語を表現しようとしているわけではない。素材としてそういうものを用いることはありうるが、それを元に音楽を作ったからにはそれは「音楽」であって「物語」ではありえない。が、ポップ・フォークの人達は、音楽を使って「物語」を描こうとする。伝えたいものが直接あるわけだ(人によって直接度は違うが)。

違うことと言ったが、この構造はロック=「主張」と同じものだ。

最大の問題は、多くのリスナーは音楽に「主張」や「物語」を求めていて、そのように聞いていることだ。

たしかに音楽に音楽としての面白さを感じるのは、案外難しい。演奏するのはもちろん、リスナーとしても訓練が必要だ。ジャズやクラッシックのファンが少ないのはある意味しょうがないのかもしれない。ただ、ジャズファン・クラッシックファンの中にも「物語」を聞いている人は多い。



以上のように、私は「音楽そのもの」と「物語を語るための音楽」は別のものだと思っている。そのように書くと、まるで「自分たちこそ本物の音楽をやっている」という風に言っているようにきこえるだろうが、そうではない。なぜなら、大多数の人は音楽に「物語」を見ているし、それはそれで音楽の力だと思うからだ。

そして、あくまでメインカルチャーでありうるのは「物語の音楽」であって「音楽の音楽」は、それにはまってしまったマニアのためのサブカルチャーだと認識している。ロックにはメインカルチャーとしての顔とサブカルチャーとしての顔の両面があって、メインカルチャーとしてのロックは、感受性が強く・満ち足りてなく・力の有り余っている「若者」にしか出来ないのだろうが、サブカルチャーとしてのロックは、年齢に関係ない。

ようは、所詮趣味などというものは、アンダーグランドなものだと思っているのだ。極論すれば「一人、一趣味」ではないかと。とは言え似たような趣味の人っていのはいるわけだから、同行の志で集まって何かやっている。

私はそれこそが「趣味」といえると思っているのだ。「趣味は音楽鑑賞だ。」と言いながらヒットチャートを追いかけているやつは認めません(笑)。それは趣味ではなくて、その時代の風俗に触れているだけだと言いたい。それはそれで楽しいことであるので、決して否定はしないが。
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by jazzcello | 2005-09-22 18:45 | music
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